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守る者のいない宮に、今日もモップとそれをかける人の足音が響く。
誰であろう、双子座の聖闘士。アテナの補佐として全権を握る教皇サガである。サガは、早朝の人馬宮(床を踏み違えるとアスレチックが発動する)清掃を日課としている。
アイオロスへの鎮魂を通り越して、今や単なる習慣である。
なにせ、並みの聖闘士でも清掃不可能。「教皇さま、私がやります」と言って近付いた側近が、これまで何人もアスレチックを発動させ、大怪我を負っている。
教皇の威厳と相容れない清掃活動にはなんら異存のないサガだが、今日の異変には目を丸くした。
射手座の聖衣がパンドラボックスから外に出ているではないか。聖衣は、西の方向に矢を向けていた。まわりこんで正面から見ると、ケンタウロスを模した黄金の頬に、一滴、また一滴と涙が伝い落ちていた。
「聖衣が、泣いている……?」
サガはは射手座の前に、法衣がしわにならないよう腰をおとした。
聖戦で命を落とした聖闘士たちは、アテナの祈りと奇跡によって蘇った。
サガも、アテナに導かれてこの世に戻ってきた。
だが、聖戦より前にサガに殺害された前教皇シオンと、射手座のアイオロスが蘇ることはなかった。最も、シオンの方は、「248歳の体に戻るのは、いかんともしがたい。後のことは若い者に委せる」と、辞退する旨を聞いたのだが。
死して尚、アテナのために戦い続けたアイオロスが、なぜ。
所有者を喪ったままの聖衣にも、訴えたいことがあるのだろうか。
サガは泣き続ける聖衣を肩に乗せ、アテナ神殿まで登っていった。
「……わかりました」
純白のドレスの少女が、ケンタウロスの背を撫でながらサガを見上げた。
正視を憚られるほど気高いまなざしを受け、サガは恭しく膝をつく。
「報せてくれてありがとう。サガ。なぜ、アイオロスが私の呼びかけに応えないのか。ようやくわかりました」
「と、言われますと……?」
「少し面倒なものに囚われてしまったようですね」
アテナは聖衣から離れ、ひざまずくサガの額に手のひらをあてた。
「目を閉じて、心を静かにしてください。私が遠見した光景を、あなたの脳に直接伝えます」
長い睫毛を伏せたサガの脳裏に、空と黄砂のコントラストが鮮やかな映像が浮かんだ。砂漠だ。地平線の彼方まで黄金の砂が続く、雄大な景色が広がっている。
その幾重にも折り重なる砂山のふもとに、一本だけ木が立っていた。乾燥地帯の木とは思えないほど幹が太く、あおあおとした葉が茂り、涼しげな日陰を作っている。その根元には湧き水が清らかな透明色をたたえ、砂漠の民がバケツを手に列を作っていた。
「菩提樹? こんなところに、なぜ」
「世界樹といいます。根元は地中ではなく、黄泉の国とつながっています」
厳かな声とともに、映像が地上から根元に移ってゆく。
長い長い根はぼんやりと霧がかかった世界につながっていて、太くグロテスクなオブジェのようにうねっていた。その中心に、アイオロスが眠っていた。全身を木の根に拘束され、逆さ吊りの状態で。
「アイオロ……?!」
心が乱れた瞬間、サガの中の映像が消えた。
ここはアテナ神殿。白い大理石が輝く、女神の住居だ。
雄大な砂漠も、黄泉の国もない。
女神の指先が、額から離れた。
「あの木とあの水は、アイオロスの魂を糧に成長を続けます。切り離さねば、アイオロスは滅びます。近く樹に吸い取られて滅し、二度と生まれ変わることはないでしょう」
「なんと……!」
「アイオロスの魂が消滅することは、すなわち射手座の聖闘士の消滅を意味します。幾星霜か時が流れ再び戦う日がきても、射手座は現れないのです。射手座の魂を持つ者が正当な後継者を見つけた場合のみ星命点が移動しますから、その限りではないのですが……アイオロスが消滅してしまったら、それもかなわなくなります」
深窓の令嬢らしく、危機を告げながらも実に悠然とした声だ。
ただし、それは口調と見た目だけ。
戦いの女神だからかどうかはともかく、城戸沙織さんはけた外れな行動力を持つせっかちさんだ。
止めても止まらぬ特攻大将。もうさっそく、女神の聖衣を召還してパーツをつけはじめている。
「お待ちください。そのお役目、ぜひ私めに」
いつもながらの暴走を、あわてて引き止めるサガ。
アイオロスを救いたいとか、自分の贖罪を見つけたとか、そういうことはおいておいて、とにかくこのミニマムな爆弾を思いとどまらせなくては。午後から3つのパーティがあって、夜はチャリティーオペラの試写会。黄泉の国とやらに出向いている時間はない。なにしろ、辰巳がウルサイ。ていうか、聖域的にはアテナ元気で留守が良いのである。
だが、爆弾娘は納得しない。
「あなたひとりで行ける場所ではありませんよ。なにしろ、冥界の管轄なのですから」
「エイトセンシズぐらい、持ってます」
「あそこの亡霊たちは、性根が暗いのです。うつ病にはよくない場所です。双子座はスペア(カノン)がいるから、取り込まれても痛手はないですが。あなたがまた二重人格になってしまっては、困ります。死なれるより厄介です」
悪気の有無はわからないが、ストレートに非道い物言いだ。
が、サガは軽く聞き流した。この言いぐさにいちいち反応していたら、教皇なんか務まらない。
「私が不向きであるなら、シャカでもデスマスクでも適任者に命じればよろしい。アテナがおひとりで冥界に出向くなんて、とんでもない。冥府を征圧して他界にケンカ売りに来る準備かと、天上の神々が戦慄します」
「それもアリですね……」
「こらこら」
サガは、少女の頭に手を乗せて、ぐしゃぐしゃぐしゃっとやった。品行方正なサガらしくない行動に、思わず「カノンなの?」と首を傾げてしまうアテナ。こんな表情の時は、年齢相応に愛らしい少女なのだ。サガはくすくすと笑いながら
「どちらでしょうね。とにかく、貴女は人間として、城戸沙織嬢としての役目も全うしてください」
「嫌です。私も今すぐアイオロスに会いたいのです!!」
「本音が出ましたね。でも、ほら、ヘリが待ってますよ。その頭でランチパーティはないでしょう?」
「貴方の所為でしょう?! て……きゃっ!」
サガは小さな体を軽々と抱き上げて、大理石の床を蹴った。驚くべき跳躍力で、アテナ神殿周辺で空中旋回しているヘリに飛びのると、後部座席にアテナを押し込めた。
「いってらっしゃいませ。沙織さま」
「ちょっと、サガ」
「必ず、アイオロスを貴女にお返しします。このサガの、一命に代えましても」
恭しく礼をして、ヘリから飛び降りるサガ。
ヘリが着陸できないよう、強力な結界も施した。
こうして、聖域からアテナを締め出すこと2回目。サガに自覚はないけれど、彼も彼とてけっこう図太い。なにしろ、人生の半分以上教皇職を全うしているのだから。
運転手がチラリと後ろを向くと、後部座席でスケジュール帳を睨み付けていた辰巳が「行け」と命じた。
ヘリはふくれっ面の沙織を乗せて、エーゲ海の方向に飛び去っていった。
あれ? サガさお……?