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アルベリッヒが失踪した。彼の館にも、ワルハラの個室にも、いない。気怠そうに本を読んでいた図書室には、赤毛のネコが暖を求めて寝そべっているばかりだ。だが、ジークフリートは知っていた。気がついてしまったのだ。この赤毛の、極めて目つきの悪い、腹毛真っ白の、小さなネコが、アルベリッヒだということに。「て、見たまんまアルベリッヒですわね」机に本を広げ、爪でページをめくっている怪しげなネコを、ヒルダが優しく見おろす。ネコは賢そうな目でヒルダを、そしてジークフリートを見上げ「ニャア」と鳴いた。「まぁ、お返事が上手。おりこうさんですね」ジークフリートはというと、ヒルダの背後に控えて黙っている。基本、ジークフリートは寡黙だ。ヒルダに意見する立場ではないと、身をわきまえている。だがこの時はばかりは違った。ドン引いて、言葉を失っていただけだ。たしかに、このネコはどうにもこうにもアルベリッヒだ。猫であることと、皮肉を言わないことを除けば、間違いなくアルベリッヒだ。つうか、こんなに真紅な猫なんか、見たことがない。第一、ネコは本を読まない。それも、怪しげな黒魔術やら疫病学やら。そんなものを読む輩は、アスガルド広しといえ、アルベリッヒだけだ。(呪われたのだろう)ジークフリートは声には出さず、合点した。(ニーベルンゲンリングに支配されたヒルダさまを利用して、この世を征圧しようとした男だ。おおかた、罰があたったに違いない)しかしヒルダは、そうは思わなかったらしい。白くほっそりとした手でネコを抱き上げ、極上の微笑みを浮かべた。「それにしても、汚れてますね。そうだわ。一緒にお風呂に入りましょう」ジークフリートの反論を聞く前に、ヒルダはダッシュで逃げ出した。ネコは普通、水が嫌いだ。風呂なんて、もってのほかだ。だが赤毛のネコは、なみなみと湯が貼られた浴槽にぷかーんと縦に浮いて、まんざらでもない様子だ。「では、失礼しますね」石鹸で身を清め、長い髪をアップにした乙女が、浴槽をのぞき込んだ。「全く、迷惑な話ですよ」ネコがしゃべった。それも、魅惑の中原ボイスで。迷惑そうに鼻を鳴らすネコに、ヒルダは満面の笑みを向けた。「まあ、やっぱり喋れたのですね」「やっぱりって」「喋るんじゃないかなぁと、思ってたんです」 緑色の瞳が、ギロリとヒルダを睨んだ。「あんたが仕組んだんですか?」「まさか」 ヒルダは、ニコニコしている。 気がついたらネコになっていた経過については、本気で知らなさそうだ。 アルベリッヒは舌打ちした。「しもべの前で、全裸になる女君主がいますか。破廉恥な」「そうでしょうか?」「オレだって男ですよ?」「いいじゃありませんか。ネコですもの」「あんたはよくても、こっちはよくないっ!!」 アルベリッヒは、ぷいと背中を向けた。「アテナにお聞きしたんです。気が合わない部下とは、お風呂に入るのが一番ですと。裸のおつきあいが、最も効果的ですと」 アテナが間違ったことを教えたのか、ヒルダが激しく曲解したのか、両方か。 つうか、本人を前にして「気が合わない」とか言うか、普通。「フン」 真紅のネコは湯に浮きながら、最大限の侮蔑を込めた目で湯煙の美女を睨んだ。 いちおう吟持ってもんがあるので、睨むのは顔限定。見えちゃったものは見えちゃったが、あえて視線を外している。美しいことは美しいけれど、ほっそりとしていて妖精のようで、女性らしいオウトツさえも男としてそそられる雰囲気じゃあないあたり、「脱いだらすごいんです」を期待した身としては「チッ」ではある。 ようは、服を着ていても着ていなくても、ヒルダは変わらない。全然変わらない。その神々しいまでの聖女っぷりも含めて、妙にイライラするんである。 一方、ヒルダは微笑みを崩さない。 というか、心底嬉しそうだ。「うふふ」「なんですか、気色悪い」 アルベリッヒが吐き捨てると、ヒルダは心からホッとした笑顔でのたまった。「やっと、本音を言ってくれましたね」「はぁ?」「アルベリッヒは心に何か秘めていても、言って下さらないでしょう? 本心を話してくれて、光栄です。お風呂効果ってやっぱりすごいんですねえ」 アホか。 何を言うかと思えば、この地上代行者ちゃんは。 おめでたい。アホらしい。羞恥心もない。 ホントに、こんなんが地上代行者でアスガルドは、地上は大丈夫なのかと、湯あたりじゃないけどくらくらしてしまう。「ご意見申し上げれば、却下なさるでしょうが」「前衛的な意見は、世の理解を得がたいものです」「天然ガス売って、暖房装備を調えてくださいって」「アスガルドの自然は、アスガルドのものですから。必要以上に採掘するのは」「そんなこと言ってるから、暖炉のある部屋で子供が凍死するんですよ!!!」「それも……そうですわね」「生態系が崩れるほど近代化しようだの、ボロ儲けしたいだのは言ってないんですから。節度を守って貿易すんのも、国を守る手段ですよ。アテナだってポセイドンだって、地上に財団を持ってるでしょう?」 話している間に、アルベリッヒは違和感を覚えた。 今日は、なんだか会話がスムーズだ。ものすごいスムーズだ。 ほんとうに、風呂効果なんだろうか。 (いや、重鎮どもがいないからだ!) 合点して前足を打つアルベリッヒ。 アスガルドの重鎮はひどく頭が固い。脳みそが氷結まんまDNAが受け継がれていくんじゃないかってほど固い。ヤツらは新しい試みを極端に恐れる。さきほどの天然ガスの発掘も然り。火山熱の発電もしかり。 ビルダも自然に手をつけることに興味かないから、通る話も通らなかったのか。 だとしたら、風呂万歳。 ネコ万歳。「だいたい、本音を言わないのはヒルダさまも同じでしょう。いっつも良い子ちゃんでいらして。肩、凝らないんですか」 気分がよろしくなって、思わず口が滑った。 あわてて前足で口を押さえるが、時既に遅し。言葉はもとにもどらない。「そうですねえ」 ヒルダは悠然と、たおやかに、ちょっと小首を傾げて、アルベリッヒの予想をナナメ45度外した本音をのたまった。「アテナって、ペガサスが好きみたいなんですよね。聖闘士だからではなくて、ひとりの少女としてひとりの少年に焦がれているっていうか。ご本人には聞けないんですけど、どう思います?」 知らんがな。 そんなん。「恋愛でもなんでも好きにしたらいーんじゃないですか。聖戦とやらも終わったわけですし。女神と言っても生身の人間でしょ」 ものすごい投げやりに答えたのに、ヒルダは目をキラキラさせて「ですよね! アルベリッヒもそう思いますよね!!」とか、頷いてやがる。 この人って雲の上の人間だから、井戸端会議もといガールズトークに飢えてるんだろうか……。「ま、つきあってさしあげますよ。そんな話でしたら。いつでも」「はい?」「人間の形をしてたら、言いにくいでしょ」「ありがとう。アルベリッヒ」 どうしてこの人は、自分を殺そうとした人間に、こうも素直に、真っ直ぐに礼を述べることができるのだろう。 アルベリッヒは湯の中で顔を洗った。ついでに頭も掻いた。 つくづく、ネコの体は柔らかい。 おまけに、何かと便利かもしれない。 こんな笑顔が見られるなら、一生ネコでもいいか。 そんな考えが脳裏をよぎった瞬間、どっかーんと不可視の衝撃が真紅のネコを襲った。「うぎゃっ!」 思わずネコ毛が逆立つ。 と同時に、なめらかな毛並みが肌色に、短かった手足がもとに戻った。「わっと!」 思わずびっくり。ヒルダもビックリ。ていうか、前を隠せ。前を。『アルベリッヒよ』 どこからともなく、厳かな声が聞こえてきた。 会話というよりは、脳に直接語りかけてきているみたいだ。『お前がヒルダを裏切る日はこない。このオーディン、しかと見届けた。終生、アスガルドとヒルダに仕えるがよい』 これが他の神闘士だったら「ははー」と平伏するところだが、アルベリッヒは立ち上がって腕をぶんまわした。「こんな時にばっかり、コンタクトとってくんじゃねーよ!! ヒルダさまが魔の手に落ちたときにやってこいってんだ!!」『はっはっは。威勢の良いことだ』 神の声は消え、風呂場には一組の男女が残された。 ヒルダは「よかったよかった」と、歓喜しているし、アルベリッヒはタオルもなくてバツが悪いし。 この状況、他人に見られたらどう説明するんだろう? そういうことも含めて、やっぱりネコのままのほうがよかったんじゃないかと悩む、アルベリッヒなのであった。 ――数日後。「ヒルダさま。これを」 ひとり回廊を歩くヒルダの御前に、アルベリッヒは一匹のネコを献上した。 堂々とした体躯で、カールのかかった淡いゴールドベージュの長毛種。淡いブルーの瞳。 ヒルダは目をぱちくりさせた。「ジークフリートですよ」 アルベリッヒにネコ掴みされていたときは究極に嫌そうだったが、ヒルダに抱き渡すと咽をごろごろさせてペタンとくっついてきた。「違うと思います」「オレにはそのものにしか見えませんけど」 アルベリッヒが触ろうとすると、シャーッと牙を剥いた。 この辺りは、実にジークフリートっぽい。「ま、風呂にでも入れてやったらどうですか?」「イヤです」 ふわふわもふもふのネコを抱いたまま、きっぱりと拒否。「いいじゃないですか。ネコなんですから」「ジークフリートと、お風呂に入る理由がありません」「おや。俺は途中で人間に戻っても平気だったのに、ジークフリートはネコでも恥ずかしいと?」「そ、そういう意味では……」「まあ、ヒルダさまのお手を煩わすこともないか。では、侍女にでも。こいつも汚れてますし」「あ……!」「おや、お嫌ですか? ずいぶん置きに召したんですね」「……」「ネコを」 ヒルダは真っ赤になって、口を尖らせた。顔だけでなく、指の先までアルコールがまわってるみたいに色づいている。「なるほどね」 シークレットブーツ着用の本日、ニヤニヤとヒルダのつむじを見おろすアルベリッヒ。「アテナの恋路より、ご自分の心配をなさったらいかがです? オレは止めませんけどね。あなたも生身の人間なんですから」「な、何を言うかと思えば、戯れ言を」 微妙にろれつの回らないヒルダを、アルベリッヒは「メルヘンですな」「若いって良いことです」「お似合いですよ」などとつつき続ける。 本人は平静を装っているつもりだろうが、耳まで赤くちゃ威厳も説得力もない。 年齢相応に、愛らしいだけだ。(この女、意外にからかうとおもしろい♪) ちなみに、ホンモノのジークフリートは兵舎で兵士たちに稽古をつけている。 もう半刻もすれば本人が戻ってきて、このネコが普通のネコだと気がつくだろう。 そして、彼女は女王の仮面をかぶり、今日も祭壇に向かう。 勇敢な勇者に焦がれる、乙女の素顔を隠して。 それでいい。 また、そうでなくてはならない。 ならば、せめてそれまでのひとときを。 仮面を外し、重荷をおろしてもいいんじゃないかと思う。